前置胎盤~帝王切開の記録①

 

前置胎盤の診断を受け帝王切開が決定

 

私は、30週頃に前置胎盤(辺縁前置胎盤)の診断を受けました。当然、分娩方法は帝王切開となったほか、ハイリスク妊婦とみなされたために系列の周産期医療センターである病院(大学病院)に転院することに。病室がきれいと聞いて選んだ(もちろん個室を予約)病院で産めないことになり、当初多い描いていた姿から外れたことにややがっかり(しかし、後日更に予想しない事態に陥る・・・)。

 

また、地味に面倒だったのが、前置胎盤の最終診断や転院のために、週1で会社の休みを取ることになったこと。時間休の制度があるので、午前中や午後の数時間だけ会社を離れるくらいで済み、タイミングとしてもちょうどイベントの少ないときだったので良かったですが、頻繁に休みの申請をするのは正直気が引けました。

 

会社においては「休み」の扱いですが、本人からすれば、家と会社から更に遠くなった病院に行って、待ち時間(朝イチで予約しても待ち時間が発生するのはなぜなのでしょう・・・)を耐え、診察受けるっていうのは、とくに体が重くなってくると疲れるものでした。

 

一応、前置胎盤のことは上司に告げましたが、やはり男性なので、よく分からなかったというか切迫感が薄いようでした。なお、上司の反応は、「あ~、あれね」くらいの薄いもの。かたや、医師や家族は、「出血あると最悪母子ともに死んじゃうかも、マジ注意して!」という強烈なもの。ギャップが大きすぎ。場合によっては緊急入院とかもあり得るみたいです、と言うだけ言っておきました(その際は、同じ部署の同期が仕事の穴を埋めてくれるはずです、とも言いました・笑)。

 

ハイリスク妊婦の扱いは超慎重(※一部を除く)

 

前置胎盤の何が嫌って、癒着胎盤の可能性が高いことです。無事に手術予定日を迎えられたとしても、胎盤がはがれず出血が止まらず、母親の生命が危険に晒されるとか、子宮を摘出する必要があったりとか、最後まで気が抜けません。私も一応、手術前に少し身の回りをきれいにしました(不要なものを処分するとか)。

 

さて、前置胎盤に関する怖い話をネットで見ながら過ごしつつ、無事に産休入りをした直後。そもそも、後任の着任が遅かったので、産休入りも35週からとやや遅くなり、さあこれから優雅なマタニティ・ライフだ!(あと、産休・育休中に通う大学院への応募手続きも)と意気込んでいた矢先の出来事でした。

 

例の大学病院で、定期健診→自己血の貯血NST検診という、今から思えば色々予定を詰め込んでいる一日がありました。定期健診では、やや若い先生(検診では主治医という制度はないので、毎回担当医が変わる)のエコー検査がなかなか終わらず、仰向けの体勢が苦しくて疲れました。

 

そして最後のNST検診を受けていたら、看護師さんが何度も様子を見にきて、「今、張っているの分かります?」(←分かりませんでした)、「(お腹に向かって)まだ出てきたら駄目だよー」と言ってきました。なんか色々あるんだね、くらいに捉えて、検診後に待合室で待っていたら、医師がやってきました。

曰く、「この後、即入院です」。 ←えっ!!?

10分おきくらいにお腹が張っていたらしく、このまま出産状態に近くなってしまって出血すると、特に病院外にいると母子ともに危険だということでした。しかし、私は前述のとおりお腹が張っているとは認識しておらず(胎動かな?と思っていた)、今後のマタニティ・ライフの計画もあるので、信じられませんでした。少なくとも大学院への提出書類等の準備があるので、一旦家に帰りたいと告げるも、やさしく丁寧に否定されました。結局、家族に連絡して着替え等は持ってきてもらうことになり、車椅子で病棟まで移動・・・。


ハイリスク妊婦のためのNFICUという部屋に入り、入院や手術のための書類にサインしました。ところで、そのときの書類では私の診断が辺縁前置胎盤ではなく全前置胎盤になっていたのですが、主治医が決まっていないこの大学病院ではままあることと聞いていたので、まあ放っておきました(最終的には、やはり辺縁前置胎盤)。

 

陣痛を止める薬を点滴され、あとは横になって安静にしていなければなりません。これが本当に苦痛でした。

  • 点滴が痛い上、体内の水分量が増えて指がむくんで辛い。点滴の針って、結構太いんですよね。刺しているところはずっと痛いままで、慣れることはありません。
  • 点滴が頻繁に閉塞。閉塞というのは、輸液がうまく流れなくなってしまうことで、それを感知した機械はアラームを発します。例え深夜でも・・・(初日は、同室の方々に気兼ねして、自分でアラームを止めた上で再開させていたけど、看護師さんから「毎回ナースコールで呼んでください」と言われました。まあそりゃそうですね)。私の場合、腕を曲げていると、腕の中の血液の流れが悪くなり、閉塞につながりやすくなっていたようです。つまり、ずっと腕を伸ばしていなければならず、これも辛い。
  • 大学院への応募手続きができず、気が気でない。病院内にはwifiも有線LANも無いので、パソコンを持ってきてもらっても、結局手続きができません。マタニティ・ライフと言っても、「近所の美味しいパンケーキ屋に行こう☆」くらいの予定なら別にどうでも良いのですが、締め切りのある予定に対応できないのは本当に辛いです。
  • とにかくヒマ。急に入院したので、本もゲームも何も持ってきていません。携帯でネットを見るか、音量を小さくしてテレビを見るかくらいです。ちょうど、Brexit国民投票が行われる日に当たったので、朝から昼まで、ずっと開票速報を見ていました・・・


私ができるのは、NST検診で問題のない結果を出した上で、医師に早く退院したい!とアピールすることしかありません。幸い、入院中のNST検診には全く問題がなく、医師にも早期に退院したい旨を伝えたところ、当初予定よりも1日早い退院となりました。退院が実質的にできない土日を含めて、4泊5日の入院でした。


結局、大したことなく済んだ入院だったのですが、そもそも入院する必要あったんだっけ?という気がしてきます。素人ながら推察するに、入院が決まった当日、疲れすぎたんだと思います。定期健診やNST検診の前は、それぞれ30~60分の待ち時間があり、家を出てから全てが終わるまでの病院での滞在時間は5時間近く。血液も抜いていましたし。


この大学病院はハイリスク妊婦に対してかなり慎重で、お腹の張りだけで管理入院という対応でしたが(普通は出血したら入院というケースが多い模様)、むしろ、妊婦が極力疲れないようなスケジュールや待ち時間の設定をすべきじゃないかと思いました。入院費用だって(高額療養費で一部返ってくるけど)かかるし、何より貴重な時間が奪われてしまいます。


私はこのように超軽い症状での管理入院となりましたが、病室にはもっと切実な状態で入院されている方ばかりでした。とくに赤ちゃんの週数がまだ浅い方は、不安も大きいでしょうし、入院生活も長いものになり、一層辛いでしょう。私は、人生で初めての入院でしたが、私程度の症状でも辛い日々だったので、今後、入院する知り合いがいたら、親身になって対応しようと思った次第です。

 

 

産前・産後の体重の変化の記録

ついに、妊娠前の体重(近く)まで戻ってきた!!

(なお、現在、産後2か月弱です)

 

ということで、携帯のアプリにこれまでの体重を記録していたこともあり、これまでを振り返ってみようと思います。

 

これまでの体重の増減推移をグラフにしてみると、以下のとおりでした。

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色々あったけど等速で増えていった体重

 

ざっくりみれば、出産日まで着実に増えていった感じですね。最終的には妊娠前比12kg増。BMIは「ふつう」だったので、まあ許容範囲か・・・

一応、細かくみれば、山あり谷ありでして、4か月前(妊娠5か月頃)は、母子手帳にもある妊婦の体重増加の目安グラフの上限を突き破りそうな勢いでした。いつもはすぐにお腹がいっぱいになってしまっていたのですが、白飯がいつまでも食べられる!という体の変化に感動し、調子乗ってもりもり食べていた時期でした。社食のごはんを「小盛」から「普通」にしたり・・・。なお、つわりは一切なし!

その後反省して、食事量を抑えめにしたり、ネットの検索で引っかかった「妊婦鍋」(野菜や春雨、鶏むね肉を中心とした鍋)を試したりしました。したはずなんですが、やはり真剣さが足りなかったのか、振り返ってみてみると、そこまで増加ペースは落ちませんでしたね。

 

出産直後には焦るも、半月程度でむくみが取れてすっきり

 

出産後、病院の廊下にある体重計にそっと乗ってみたときのこと。出産直前に比べて3~4kgしか減っておらず、残りの8~9kgはどうなるのか!?とショックを受ける。狼狽を看護師に悟られないように部屋に戻り、その後、例によってネットサーフィンで調べまわる日々・・・

しかし、退院してしばらくすると、体重ががんがん減っていく。何よりも大きかったのは、手足のむくみが取れたことだと思う。結婚指輪を再び嵌める日が来るのか謎であった手の指がすっきり。なんでも、出産前は、出血に備えて血液量がかなり増えていたのが、出産を契機に通常のモードに戻っていくらしい。

食事は、里帰りした実家の母に作ってもらっていたが、わりと3食しっかりと食べていたと思う。

  • 朝ごはん:白米、納豆、サラダ、味噌汁
  • 昼ごはん:炭水化物メインの1品(冷やし中華とかチャーハンとか)
  • 夜ごはん:白米、主菜、副菜、サラダ

しかし、母は料理があまり得意ではないので、普段私が作るよりも副菜が1品少なかったかな(というか、私が普段作りすぎ=食べ過ぎなんでしょうね。妊娠前も徐々に太っていってたし・・・)。

この間、運動は近所のコンビニに買い食いや会社への提出書類のコピー等も兼ねて歩く程度。なお、ポケモンGOが配信されたので散歩がはかどるはずだったが、田舎すぎてポケストップもポケモンも容易には見つからないという・・・

 

結局は食事量という結論の1か月後

 

半月経つと、次第に体重の減りが鈍ってくる。これはまずいと再びネットサーフィン。授乳していれば勝手に体重は減っていくって本当なのか?とやきもき。

しかし、1か月半を経過したあたりで、再び体重が減ってくるように。このときあったのは、シンガポールへの引っ越し。ご飯を自分で作らなければならない+子供がタイミングよく(悪く?)泣いて全然料理ができない=あまり食べない、という事態になり、結果としてダイエットになったのだろうと推測。

  • 朝ごはん:パン、ヨーグルト
  • 昼ごはん:パン または 近くのホーカーで1品 または夕飯の残り
  • 夜ごはん:白米、主菜、副菜

結局は、摂取カロリー<消費カロリーということが一番大事なんだね、と最後に分かった次第です。仕事も運動もしばらくは本格的にできないので、ご飯の量も当面控えめにしないといけないようです。

 

 

 

D35 友人たちと再会(その難しさについて)

今日は大学時代の友人たちが、出産のお祝いに家に来てくれた。

 

元々、そこまで付き合いが濃密な関係でもないけれど、お祝いごとがあるときちんと集まっている。性格も趣味・嗜好も、さらには人生観も、実はわりとバラバラだと思うけれど、大学時代のほとんどを部活というものに費やした間柄だからだろう。

しかし、今日は、それぞれの立ち位置の違いを改めて感じた日でもあった。今日の集まりは、果たしてあれで良かったのか・・・

反省その1:子持ちと独身の間のかみ合わなさ

よく言われることではあるが、子持ちと独身というふうに立場が変わってくると、話が合わなくなるという事態。今回は、子持ちの方が人数が多かったので、出産や子育ての話が殆どだった。

結果、独身の友人はあまり話をしなかった。

果たして楽しかったのだろうか。仕事の話とか、その他普段感じていることなどを、もっと聞いてみたかったし、本人も話したかったのではないか。

さらに、子持ちサイドがする話も面白かっただろうか。子供のシャンプーをどうしているかとか、独身にとってはかなりどうでも良さそうなテーマである(私もわりとどうでもよかった・笑)。

 

出産・子育てという、まだ経験していない事柄であるからこそ、子持ちサイドとしては、単なる「おしゃべり」として話すよりも、「人に聞かせる話」として話さなければならなかったのではないだろうか。つまり、子持ち同士であれば、当然のこととして共有されてしまう経験や感情について、もっと丁寧に、物語として追体験できるように、語るべきではないのか。

例えば・・

  • 産声を聞いた瞬間は、柄にもなく涙が浮かんだこと
  • 出産後、それまでの人(職場・社会)との繋がりが切れてしまったと感じ、無力感が沸き上がったこと
  • 夫や父母の存在が、思った以上に精神的な助けになること etc

そんなことを、もっと話したかった。

そうすれば、独身の友人も、「ああ、出産するとそんな風に思うんだね」と理解できるし、小ネタとしても使えるかもしれない(ひょっとしたら)。

そうでなければ、お互いの間に広がる断絶を、単に見つめるだけになってしまう気がする。

反省その2:子持ちにおけるワーク・ライフ・バランス(WLB)の考え方の違い

しかし、断絶というのは、子持ちと独身の間だけに存在するわけではない。むしろ、同じ立場であるからこそ、考えの違いがより意識されるかもしれない。

そして、これはWLBというか、キャリア・ディベロップメントの話でもある。

 

まず、私として意外だったのは、そこそこ偏差値の高い大学を出て、きちんと就職しているメンバーであるけれど、「がっつり育休」派が多かったこと。当初の私の「3か月で復職」というプランはかなり驚かれてしまった。育休期間中に子供を預けて大学院に行くことについても、「子供は心配じゃないの?」という反応(まあこの点については私が楽観的すぎる可能性)。

 

私が、兼業主婦であった母の影響もあって、「ザ・昭和のワーキングマザー」の考えに染まっているのかもしれないけれど。

しかし、職場から離れている時間が長くなるほど、名目的な職位・役職の遅れに加えて、実質的に面白い仕事をまわしてもらえるチャンスだって減ってしまう。単に「子育てばかりで息が詰まる」という短期的なことだけでなく、中長期的なキャリアへの影響だって絶対にゼロにはならない。

中学生くらいになれば、子供は、親の社会的な立ち位置や生き方をみるようになる。そのとき、私は子供以外のことも語りたい。そして、子供に、自分自身の将来のことを幅広く考えてほしい。

 

こうしたアグレッシブな考え方があまり共有されないことが、地味にわりとショックだった。

これは、「こうすれば良かった」という反省ではないけれど、「そこそこ高学歴の働く女性は皆、キャリアの維持・充実に熱心である」という先入観は持たないようにしようという教訓。

案外、仕事はそこそこで良いと考える人だって多いのだ。・・・しかし、これは「終身雇用の正社員」と「近年の充実した育児休業制度」が無ければ、成り立たないものだ・・・

おわりに

なんだかネガティブな話になってしまった。

今日の集まりの間、肝心の子供が「飲み足りない」モードに入っていて、しっかりと友人と交流できなかったので、フラストレーションが少したまってしまったのかもしれない。

改めて、自分がかなりドライな人間なのかもという気もしてきた。

 

けれど、やはり子供はかわいい。どうみてもかわいい。

寝顔にキスをして、今日もおしまい。

子供が生まれて1か月経った。

 

不自由ながらも暇である日々。

 

たくさんのValuableな経験をしているのに、それを伝える相手がいない。

もちろん夫はいるけど、例えば「帝王切開後の産褥生活はどのような感じか」なんていう話は、夫が私の心情を理解してくれたりと夫婦の関係にとっては良いことだけれど、夫本人にとって有益なものではない。それに、夫に全てを話したいわけでもない。

 

このままでは、自分の経験が、私個人の中に埋もれてしまい、いつの日か私自身もその新鮮な気持ちを忘れてしまうのかもしれない。

 

そんな気持ちから、このブログを始めてみることにする。この小さく静かな部屋に開けた、一つの窓として。